天皇制と比較不能な価値
サンデープロジェクトで皇室典範改正問題について議論していたのを見ました。男系維持派の平沼赳夫氏や櫻井よしこ氏の主張に特に目新しいものはなかったのですが田原総一朗氏が天照大神を例に出してそもそも天皇家の男系というのが同じく天皇家の正当化の根拠である神話と矛盾していることを指摘したのに対し、櫻井よしこが「これは理屈でなく価値観の問題なんです。」と反論していたのがこの女系天皇の是非を巡る議論を(本人は自覚していないかもしれませんが)象徴していておもしろかったです。
前回、三笠宮寛仁さんの発言に思うで書いたように、天皇支持派の中で天皇制支持の理由が分裂していることが今回の対立の原因です。男系で続いてきた伝統を支持の理由とする人々にとっては女系天皇は到底容認できないでしょう。他方戦後の理想的なロイヤルファミリーとしての皇室への親近感を天皇制支持の理由としている人々にとっては男系維持のために愛子ちゃんではなく60年も皇族から離れていた旧宮家の人々を天皇とすることには抵抗を覚えるでしょうし、まして側室を容認することなど到底できないことです。
男系維持派の人々は拙速な改正をするのではなく、じっくり議論して国民的な合意を得るべきだと主張しますが、いくら議論しても結論は出ないし、まして国民的な合意など得ることはできないというのが私の考えです。なぜなら、図らずも櫻井よしこ氏が吐露してしまったように、これが理屈ではなく価値観のぶつかり合いだからです。親近感を天皇制支持の理由とすることも伝統を支持の理由とすることもその人の価値観でありどちらが正しいかなど決められるわけがありません(長谷部恭男教授の言葉を借りれば異なる価値はしばしば相互に「比較不能」なのです)。
このような「比較不能」性を認識しない男系維持派の人は仲間内でしか通用しない伝統の重要性を繰り返し喧伝しますが、それは親近感を天皇制支持の理由とする人々やそもそも天皇制を支持しない人々には響きません。まして、仲間内でしか通用しない信仰告白に理解を示さない人を「国賊」「非国民」「朝敵」呼ばわりすれば(男系維持派のブログではよく見かけます)周りの人はひいてしまい、まともな議論が不可能だと思われるだけです。
そして、このような比較不能性を認識するのであれば天皇制支持派内での対立と同様に天皇制支持派と反対派の間でも同様に両者の価値は比較不能ということになります。私が憲法で天皇制を規定することに反対する理由はここにあります。
天皇制に限らず何をかけがえのないものと考えるかは、その人その人の内心の問題であり、天皇をかけがえのないものと思うこととキリスト教の神様をかけがえのないものと思うこと、アッラーをかけがえのないものと思うことの価値は、相互に比較不能です。そうである以上、何をかけがえのないものと考えるかという問題に国家は関わるべきではないというのが私の考えです。このような考えは政教分離をベースにしたものです。天皇を日本国の象徴とすることは宗教そのものではありませんが、その根拠となるものが比較不能な価値観や感情であるという点では宗教と変わらない以上、宗教と同様に国家が関わるべきではないのです。
もちろん、天皇が憲法上日本国の象徴でなくなったとしても、天皇をかけがえのないと考える人々が民間で天皇を崇めることも尊敬することも全くの自由ですし、天皇を核とする宗教団体を作ることもそこで天皇は神だと主張することも自由です。
ただし、それには日本国政府は関わりませんし、その運営にかかる費用も税金ではなく自分たちで集める寄付などでまかなわなくてはいけません。また、それ以外の国民にとっては天皇といえど一国民ということになるでしょう。
このように、天皇制を「民営化」したとしても天皇をかけがえのないものと考える人にとっては自由に天皇を崇拝・尊敬できます。憲法上の象徴と違いがあるとすれば価値観の違う人たちに押しつけること(天皇をかけがえのないものと公教育で教育したり、その維持費を税金という形で負担させたりすることなど)はできなくなるだけです。しかし、それは価値の比較不能性を前提とする以上当然のことであり、私が天皇制維持派の人に天皇を尊敬するなといえないのと同様に彼らも私に対して天皇を尊敬しろと言うことができないだけです。
それが不満だというのは、私と彼らの人格的価値の平等を認めないことに他ならず、「立場を入れ替えても同じことが主張できるか?できないのならば不公正だ」というリベラルデモクラシーの原則に反することになります。
(参照) 長谷部恭男著 比較不能な価値の迷路―リベラル・デモクラシーの憲法理論
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コメント
櫻井さんはインテリで憧れの女性だった。
男系説法では愚説にしばられているふるわない印象です。残念。
投稿: りつこ | 2006/02/13 10:57